愛着障害。生きる意味。

愛着障害というのを知ったのはわりと最近のことで、自分に関係があるなんて思いもしなかった。

だけど、本を読んだり学ぶうちに思い当たるところがありすぎて、これは私のことだと実感した。

両親は決して愛情が無いわけではなかったが、不仲で家庭内はいつも安心な場所ではなかった。

母はいつもできる限りのことをしてくれたと思うが、共感的に話を聞くのが苦手で、話を否定せずに受容的に聞いてもらえないのがつらかった。

父は仕事人間でほとんど家におらず、酒乱やDV気質があり、怖い存在だった。でも普通の時は子煩悩的なところもあり、可愛がられた記憶もある。

そんな中で育ち、我慢したり、親の顔色を伺うことが多く安定した愛着を築くことができなかった。

そのため、小学生頃からなんとなく生きづらさを感じ始め、高校生でうつになった。

その後も何度も精神疾患を繰り返し今に至る。

本当に生きづらくて、対人関係もうまくいかず、こんな人生さっさと終わればいいのにと事あるごとに思ってしまう。

つい最近も、色んなことが重なり絶望していた。

でも、熱を出してつらそうな子どもに寄り添いながら
「つらい時はママが側にいるからね、大丈夫だよ」と声をかけているうちに、
子どもたちがつらい時に、側にいてあげるために生きようと思えた。

愛着障害の本に書いてあったように、
自分が子どもにとっての安全基地になることを目的に生きてもいいかと思えた。

それにより、相互作用で私の愛着の問題も回復していくようだ。

なんにせよ、子どもや周りの人がつらい時に寄り添える存在になっていきたいと強く思う。

今ここで、しあわせ

本質の自分に目を醒ましていく 意識を変えていく 認識を変えていく そんな記録。

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